「水月」の製作が始まったのは2年ほど前、まだ僕が東京に住んでいた頃でした。
なのるなもないから「久しぶりに一緒に曲を作らないか」という連絡とともに、部屋でアカペラでラップしている動画が送られてきたのが発端でした。
ラッパーやシンガーと共作することは度々ありましたが、いきなりアカペラの動画が送られてきたのは初めての経験で、ちょっと笑ってしまったと同時に、そんな事をしてくれるなのるなもないの真っ直ぐな勢いはやっぱり最高だなーと嬉しく思ったのを覚えています。
なのるなもないのアカペラには既に世界観やメロディーがしっかりと存在しており、その意図を汲み取りながら対話をするような気持ちで伴奏をつけていきました。
そしてその伴奏を元に更になのるなもないが声を録音し直して返してくれる、アルバム中のほとんどの曲はその様な過程で作られていきました。
アカペラが先に存在して、そこにトラックをつけていくという製作過程はとても珍しくて新鮮な気持ちで製作出来ました。
奇しくも製作期間中に僕の母が癌になり、僕は約20年ぶりに東京から、なのるなもないも住んでいる地元の町に転居することになりました。
母は治療が難しいタイプの癌で、その病状はすごいスピードで悪化していき、近いうちに死を迎えなくてはいけない事も分かってしまっているような状況でした。
僕は母のケアをしながら、夜に時折なのるなもないの家に集まって製作のミーティングをしました。
その時期は精神的にも辛く、世の中に沢山ある音楽も言葉も自分や母の様な状況の人間には向けられていないような気がしていました。そんな中でもなのるなもないのリリックは不思議と心に届いて、時に励ましてくれたのを覚えています。
それはなのるなもないのリリックがある種の死生観や生の儚さの様なものを見つめているからなのかもしれないと思います。
また、地元に引っ越してふとした瞬間に目にする日常風景の中の美しさにインスピレーションをもらうことも多く、「水月」にはそういった影響も反映されていると思います。
陽の光を浴びた木々や草の輝き、スーパーマーケットの裏手にある森に集まってくる白い鳥の群れ、関東平野の田んぼの上に広がる夕暮れ、街路樹や空き地から聴こえてくる虫の鳴き声、なのるなもないが教えてくれた大きな池とその水面に映る月、家のベランダから眺める星空。
水月のデモが完成した数ヶ月後の5月に
母は亡くなりました。もうすぐ半年ほどが経ち、少しずつ時間は前に進んでいきます。
製作していた「水月」はリリースされて、製作者の手元を離れて聴いてくれた人のものになります。
なのるなもないの言葉と水月の音は広く開かれているので、聴いてくれた人一人一人の「水月」を感じて頂けたら嬉しいなと思います。
「過去は既になく、未来は未だなく、今だけがここにある、雨粒と雨粒の間よりも短く」
(Beacon)
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